体験と記憶。

昨日お散歩をしていて、アブラムシがびっちりと新芽を覆っているのを見つけた。
「どうしてアブラムシって言うの?」
うーん、知らない。なんでだろうね?
でも、アブラムシのもう一つの名前『ありまき』なら、どうしてか知ってるよ。
アリの牧場だから『ありまき』って言うんだよ。

アリとアブラムシとてんとう虫の話は、4歳の時にした。
天敵てんとう虫から、命を守ってあげるかわりに、お尻から出る甘い汁をなめさせてもらうというのが、アリとアブラムシの交わした密約(笑)
くうまは、その話に熱中して、何度もアブラムシのお尻をなめる真似をしたっけ(笑)

私にとっては2年前のことで、その瞬間の記憶も鮮明だというのに。
くうまが覚えていなかったのに、驚かされました。
ええ?覚えてないの?
ってことでまた同じ話をしてあげて、また同じように大喜びしてました(苦笑)
「くうちゃんも、アブラムシのお尻なめた~いっ」
毎回そこの部分に惹かれる奴(爆)
まあね、そんなに甘いのかアブラムシのお尻っ、て確かに私も気になるけど。

昨日、くうまに左手で絵を描かせてみた。
くうまはなかなか左利きか右利きか区別のつかなかった子で、ほんの一年前まで、右手で書くのが疲れたら左手で書いていたのだけれど。
もう左手ではうまく描けなくなってました。
どうでもいいことなのですが、そういうことをちょっと残念に思う私。
「左手でなんて描けないよぉ」とまで主張するくうま。
ちなみに、私は左でも右でも使える人なので(←もと左利き)、ええ~左で描けるよぉって描いて見せたら、悔しがって頑張ってました(笑)
前回の記事で6年前は遠い記憶と書きましたが、子供にとっては1年前がかなり遠いのね。
ましてや2年前となると、覚えてなくてもしょうがないのかも。

くうまが一歳前後の時、3ヶ月タイを旅してました。
2ヶ月ほど、移動もせず南の島でバンガロー生活してました。
その時、日本からバカンスに来ていた老夫婦が懐かしそうに私達を見てこう言ったのですよ。
「私達もね、娘が小さい時、色んな所に連れて行ったもんですよ。
でもね、ちっとも覚えてやしなかった。
覚えてられるくらいの年になるまでは、無駄よ」
そうですか~、無駄でしたかぁ。
と相槌うっといてあげたんですけどね(老人は労わらねば 笑)

まあ、タイ旅行はくうまの為に来てたわけじゃなかったし。
1年間慣れない育児をがんばった自分達への、ご褒美の慰安旅行だったの(爆)

確かに、くうまが2歳半まで住んでいたグラナダのことを、引っ越して半年後には忘れてた。
発語を始めて5つの中に「アランブラ(宮殿)」が入ってたほど、毎日家のベランダから眺めていたアルハンブラ宮殿も、あっさりスッパリです。
日本で色んな所に連れて行った記憶は、どのくらい残っているのか。
ヨットでの感動したことはどうか。

去年くうまは星を見て「無限」を発見した。
それもきっと、学校で習う新しいことに取って代わられてしまうのだろうと思う。
そしてある時、教科書の中で「無限」を習うのだろうか。
そう思い始めると、確かにちょっと悲しいかも・・・。
今まで体験してきたことは、忘れ去られるのみ?
色んなところに連れて行き、色んな人と会い、色んなことを話し合ってきたけれど。
まだ、この先彼がどう育っていくのか、私達には予測がつかない。
今までの6年間を、もしくうまが覚えていなければ、無駄と言えるのか。

でもね。
私は赤ちゃん時代に、仏領ニューカレドニアに住んでいた記憶の断片を、ほんの一部だけれど持っている。
家の入り口にのれん的なジャラジャラしたものがかかってるのを、下から見た構図(笑)
それだけなんですが(爆)
海がどれほど綺麗だったかなんて、ちっとも。写真を見ても記憶になし。
その時期に聞いていたはずのフランス語は、成長してから耳にしたとき、まったく聞きなれない初めての言葉と思ったし、その時の体験がどう役に立っているかは言う事ができない。
だけど、自分の好みや進む道を無意識に選ぶ時に、それは絶対作用している気がする。
だから今私はスペインに住んでいて、くうまをこんな風に育てているのだと思う。

そして、私は日本でも父の転勤に伴って、色々と動いた。
大好きでずっといたいと思った所も、泣く泣く引っ越すこともあった。
あまりに忘れられなくて、社会人になって、懐かしいその場所を尋ねたことがある。
その時、見えているものと、自分の記憶とのギャップにかなりショックを受けたのです。
小さな身体で見たものは、もっと世界が広く、すべてがダイナミックで、感動的に見えてたのですよね。

「あの時どうした」という記憶の共有を、小さな子に期待するのは、それこそ無駄と思う。
だけど、小さな時の印象ほど貴重な体験もないとやはり思うのですよね。
一枚の大きな葉っぱが、小さな子にはお化けのように大きく見える。
大人が見える数十倍ものインパクトを持って、海は輝いて見え、風は大きく吼え、生き物が話しかけてくるに違いなく思う。
それは形ある記憶とは違って、形にとらわれない記憶となって残るのでは?
そして、潜在意識の奥底で発想の素になって現れるに違いないと思っているのです。
この時期の体験は、きっと親が目に見えるものじゃないところで生きてるわけで。
私的体験からくる、単なる想像ですが(笑)

だからこの時期の覚えの悪さを、嘆いてはいけないですね(自分に言い聞かせてます 爆)
大人の考える「記憶」とは違う形。
単語は忘れたけど、フィーリングはつかんでる・・・みたいな。
その時の瞬間の感動は、きっと心のどこかに残るのだと信じて、育てていこうと思うのです。


あっという間に、くーま家旅行時期が近づいてきてます。はやいなぁ・・・(汗)
しばらく、「くーまくーま2」をお休みして、「くーまくーま・旅のはなし」の
メキシコ旅行完結をめざそうと思います~。
では、あちらで会いませうっ!
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by africaespa | 2007-04-13 23:06 | 子育てで思うこと。

子供と一緒に楽しむ南スペイン。


by africaespa